このブログでは、海の生き物が大好きなわたしが魚たちの命について思うことを書いてみました。
アオリイカのカップル
アオリイカは一生同じ相手と連れ添います。
産卵期には、カップルとして雄雌で行動するため、釣り人にはそこを狙われることも。
メスが釣り人に捕獲されるとオスが抱きついてくるとか。
その逆で、オスが先に捕獲された場合はそうはならないそうです。
なお、イカは魚ではありません。
魚は背骨があるので脊椎動物です。
イカは背骨がない無脊椎動物であり、その中の軟体動物というグループに属しています。
アオリイカの父親による養育行動(パターナル・ケア)
また、アオリイカは頭足類でとしては前例がない父親による養育行動(パターナル・ケア)をとる可能性があるとのこと。
この父親行動とはどういうことかをいうと、アオリイカのオスは産卵にちょうどよさそうな隙間へ入っていき、メスが卵を産む前に巣の候補地を調べるという行動のことです。
このメスが卵を産む前にオスが巣の候補地を調べるという行動は、一夫一婦制の生物ではよく見られる養育行動(パターナル・ケア)です。
海の生き物はいまだに無機質なものとして、命よりも物として扱われていることが多いように感じています。
しかしながら、アオリイカが父親が養育行動(パターナル・ケア)を行うということは、海の生き物たちも陸上の生き物たちと変わらないように思うのです。
海の生き物は命か食べ物か
命と物の境目はどこなんでしょうか。
わたしの考えでは、鳴き声を出す、出さないというのがひとつの基準になっているように感じます。
たとえば、漁で魚を網で一気に引き上げる様子を思い出してください。
もしあの場面で魚たちが悲鳴をあげたら、あのような水揚げの方法は取らないのではないかと思うんです。
もしも、地上の動物を魚と同じように網で大量に捕まえて、ギュウギュウの状態にさせて圧死させたりしたら、動物愛護の問題になると思います。
釣り上げられて息ができない魚たちに対して気にかける人はほとんどいないでしょう。
ところが、地上の動物を無理やり水の中に押し込めて呼吸ができないようにしたら残酷だと問題になるのではないでしょうか。
そう考えると、海の生き物の命は軽視されているように思います。
人間から見た魚は残念ながら、命ではなく資源であり食料でしかないように感じてしまいます。
一部のヴィーガンの人の「肉はやめて魚だけを食べることにしました!」という発言にも複雑な思いを感じてしまいます。
栄養バランスが崩れて止むを得ずみたいな人は仕方ないですが、残念ながらヴィーガンを名乗りながら魚を食べる宣言をする人もときどきいるんですよね。
すべての生物が背負う業
緑の革命から青の革命へ。
陸の生き物だけではなく海の生き物も人間が自分たちに都合よく「生産」する時代です。
あらゆる生き物が生きていく上で他の生き物を犠牲にするというのはすべての生物が背負う業なのかもしれません。
現代のわたしたちのライフスタイルをすぐに変えることも難しいかもしれない。
漁業や養殖という人間の生業と、魚の命の扱いについて、うまくバランスを取ることも難しいかもしれない。
それでも、他の生物の命を分けてもらっていることを理解しながら、生き物の恵みを得ることはできるはずなんですよね。
その自覚の有無だけで人間以外の生き物に対する見方も変わるし、消費するばかりのライフスタイルを省みるきっかけにもなるのではないでしょうか。
魚にも命があることを意識してくれる人が増えるのを願うばかりです。
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